標記の佐賀藩医相良知安の案内板及び石柱は、(一般社団法人)佐賀県医師会が、「第77回九州医師会医学会(佐賀大会)」(昭和54年)を開催されるにあたり、佐賀県出身の「二大医学先哲」を顕彰する事業として、相良知安の菩提寺(「城雲院」=佐賀市唐人2丁目)門前に、記念建立して頂いたものでした。しかし年月の経過により、案内板の腐食・劣化・顕彰文の文字剥がれなどが進行していたのです。
この現状を鑑みてこの度、佐賀県医師会(松永会長)様のご尽力により、改修工事を施工され立派な案内板として新装(令和3年12月竣工)なりましたので、紹介・報告します。相良知安の子孫である筆者と城雲院の浦郷住職様共々、立派に新装なった案内板に感激し、有難く最高の喜びとなりました。 子孫として光栄に存じ、改めて佐賀県医師会に感謝申し上げます。 近年城雲院には県内外から医学関係者・医学生のみならず、一般・観光客の相良知安墓所訪問も増加し、佐賀が生んだ医人相良知安に想いを馳せ忍ぶ姿が見られます。
門前の道路を通行される市民も足を止め、案内板・石柱に見入りながら、相良知安の人物像と菩提寺であることを、興味・関心をもって眺められています。 また筆者は相良知安子孫の責務として、、佐賀藩医相良知安の生涯・功績について、相良知安HPを開設・公開し、広く全国・世界へ広報・発信しております。
←←【「相良知安案内板・石柱」(「城雲院」門前)】 この度の改修は、佐賀藩蘭学の始祖である島本良順の案内板(「専福寺」門前=佐賀市柳町)も同時に竣工なりました。 ↓↓(下画)【相良知安の顕彰案内文】
←←【相良知安墓所(城雲院)】
顧みますと、昭和41年に開催された「第66回九州医師会医学会(佐賀大会)」(昭和41年)の記念事業として、当時の佐賀県医師会館(佐賀市川原町)ロビーに、「伊東玄朴」と「相良知安」の両先哲の肖像画を、制作・展示して頂きました。
又同時に、開業医兼医学史研究者でした故鍵山栄先生の執筆による、伝記『相良知安』(日本古医学資料センター発行:昭和48年刊:絶版)を出版される事業も遂行されました。 故鍵山先生は、相良知安研究の鼻祖であり、佐賀藩医学史研究の第一人者でありました。本書は「相良知安」研究の萌芽であり最初の出版でありました。
←←【『相良知安』(鍵山栄著:昭和48年:絶版】 本書は、相良知安伝の金字塔的・原典的・古典的な名著となり、相良知安研究の知見と深化・発展・普及に多大なる寄与・貢献を果たしました。ここに改めて故鍵山先生のご恩に感謝申し上げます。
現在地(佐賀市水ケ江1丁目:元「好生館」跡の「佐賀メデイカルセンター」ビル)に移転した(一般社団法人)「佐賀県医師会」は、同ビルの1Fロビーに、佐賀藩の医学先進性を示す貴重な医書・医学資料・画像・及び「種痘之図」緞帳などが展示される「佐賀医学史コーナー」を設置され、広く県民に公開されています。佐賀県が生んだ「二大医学先哲」として伊東玄朴・相良知安の肖像画・略歴も展示されています。 「二大医学先哲」の画像は、手前が相良知安で、隣が伊東玄朴です。
(上画)【佐賀医学史コーナー(佐賀メデイカルセンター1F)】 (下画)【佐賀の「二大医学先哲」肖像画】
最後に、(一般社団法人)佐賀県医師会の広報誌「医界佐賀(2月号)」に、今回の改修工事を記録するため「学術トピックス」欄の記事・画像として「相良知安」と「島本良順」を掲載していただきました。そこで佐賀県医師会のご厚意により、「医界佐賀(令和4年2月号)」の学術トピックスをPDFにて公開いたします。
こちらをクリック→→「医界佐賀(令和4年2月号)」の学術トピックス(PDF:1.16MB)
【参考文献】: 『佐賀医人伝』(第2版)【佐賀医学史研究会編:佐賀新聞社発行:2018年刊)
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