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相良知安モニュメント像が完成し配置・公開展示されました(報告・案内)

 「明治維新150年」を迎えた平成30(2018)年は、幕末・明治維新期に活躍した「薩長土肥」の各県で、多様な関連事業が開催されています。佐賀県では、「その時、日本は佐賀を見ていた。佐賀は世界を見ていた。」とのメインテーマで、「肥前さが幕末維新博覧会」が開催(会期平成30年3月17日~平成31年1月14日)され、佐賀市内にメイン館である「幕末維新記念館」(市村記念体育館)はじめ、「リアル弘道館」(旧古賀家)・「葉隠みらい館」(旧三省銀行)がオープンし見学できます。また唐津市や鳥栖市にもサテライト館がオープンし、市町でも関連事業が開催されています。

 記念事業の一環として、「佐賀の偉人25人」が選定され、佐賀市のメインストリート(中央大通り)の9カ所に、観光モニュメントが制作・設置されました。医学では、伊東玄朴と相良知安が選定され配置・展示されました。この度除幕式が平成30(2018)年3月3日(土)に開催され、山口佐賀県知事・秀島佐賀市長・松本神埼市長と共に、「佐賀医学史研究会」の鍵山会長・前山前会長及び玄朴子孫及び相良知安の子孫代表として筆者らが除幕しました。玄朴と知安像の設置場所は、佐賀市中央大通り(八幡小路)の佐賀玉屋北側の松尾建設(株)本社玄関前の歩道にございます。25人のモニュメント像は、佐賀県内外のプロの彫刻家や大学教授へ依頼されて制作されました。

設置された場所の佐賀城下八幡小路は、天保5(1834)年佐賀藩が、「医学館」(初代教頭古賀朝陽:寮監島本良順)その後名称を「医学寮」(大石良英教導方)とし、この地に創設した由緒ある場所です。相良知安は、藩校弘道館へ入学後、併設された「蘭学寮」(大庭雪斎教導方)で学び、その後「医学寮」に入学し、この地で蘭医学の勉学に励んでいたのです。「医学寮」は、安政5 (1858)年城下水ケ江へ移転し、佐賀藩主鍋島直正公より「好生館」と命名されました。「好生館」は、現在まで創設180年を超える歴史と伝統がある日本で最古の医学校であります。佐賀藩が医学教育に注力していた証明であります。

※「伊東玄朴像」(左)及び「相良知安像」(右)と並ぶ筆者(佐賀市八幡小路)

 今回先祖相良知安の銅像が初めて制作され、広く公開・展示されますのは、子孫として光栄に存じ最高の栄誉であります。この機会に、相良知安の生涯と業績について、多くの県民や県外からの訪問者・観光客の皆様へ知っていただけますならば、望外の喜びでございます。この相良知安像のコンセプトは、知安が長崎留学し蘭医ボードインから蘭医学を学び、蘭医学書(外科学)を読んで将来の我が国医学について思索している、28歳前後(文久3年~慶応元年頃)の若き姿を表現してあります。なお25人の観光モニュメント像は、「肥前さが幕末維新博覧会」の会期中(平成30年3月17日~平成31年1月14日)前の3月3日の除幕式から、公開展示されています。平成30年12月に佐賀県は、モニュメント像(25体)の継続設置を決定しました。2019年7月~8月に「全国高等学校総合文化祭」が、佐賀県にて開催され、全国から4万人以上の高校生・教職員・保護者らの訪問がありますので、「偉人モニュメント像」も是非見学して欲しいと思います。また佐賀県では、2022年に「佐賀国体」を開催しますので、全国から数万人の選手団・役員団・応援団が来県されます。その際の佐賀観光の一環として「偉人モニュメント像」を広く全国からの訪問客にアピール出来ますので、嬉しい限りです。

除幕式には、福岡市のRKB毎日放送TVクルーが取材に見えて、筆者へ相良知安像除幕の感想などをインタビューして頂きました。TVクルーは、相良知安像の彫刻原型の最終制作の頃(平成30 年12月頃)から、筆者などを継続して取材されていたのです。番組の放送は、平成30年3月中旬にオンエアーされます。今年は、マスコミ(TVや新聞・雑誌など)や広報誌(「市報さが」ほか)などの取材が多くなり、また相良知安の講演依頼も増えて、相良知安が注目され嬉しい限りです。

※「佐賀ゆかりの偉人モニュメント像」除幕式(2018年3月3日:佐賀市八幡小路)

※「偉人モニュメント像」除幕式にて、相良知安像に並ぶ和装の山口佐賀県知事と筆者

これを契機に、相良知安の人物像や業績を、多くの県民・視聴者・訪問者・観光客などに、広く知って貰えるので嬉しい限りです。郷土佐賀から日本医学の発展に貢献した医学者を輩出したことは、これから未来を担う佐賀の子どもたち及び中・高校生たち(特に医学系の志望する若者)への、大きな励み・誇りとなると確信します。相良知安の子孫である筆者は、相良知安の人物・業績を伝承し広く周知し啓蒙していくことが、子孫としての責務(ライフワーク)であると認識し、さらに諸啓発活動に取り組んで参ります。

 

「佐賀の偉人」25名の内訳は、政治分野から鍋島直正・島義勇・佐野常民・副島種臣・大木喬任・江藤新平・大隈重信・鍋島茂義、教育分野から古賀穀堂・枝吉神陽、医学分野から伊東玄朴・相良知安、書道分野から中林梧竹、建築分野から辰野金吾・曾禰達蔵、工学分野から志田林三郎、化学分野から黒田チカ、菓子分野から森永太一郎・江崎利一、福祉分野から石井亮一・石井筆子、青年教育分野から田澤義鋪・下村湖人、実業分野から中冨三郎・市村清の25人が選出されました。

最後に、全国の歴史ファン・愛好者及び相良知安ファンの皆様へ、今年に九州へ旅行される機会がございましたら、是非佐賀県まで訪問されるプランを設定して頂ますよう、重ねてお願い申し上げます。『肥前さが維新博』の見学・エベントや、相良知安など25偉人の「観光モニュメント」などの見学を、旅程ルートにご設定して頂きますれば、無上の喜びでございます。佐賀県民こぞってお待ちしております。また「相良知安HP」には、「問い合わせページ」がございますので、ご訪問の希望がございましたら、子孫であります筆者(佐賀市在住)が、佐賀市内の会場(エベントなど)や、相良知安モニュメント・史跡などをご案内いたしますので、遠慮無くお問い合わせください。

 

制作の原型となった相良知安の画像はこれです。↓

※「慶応年間の長崎留学時代の28歳頃の相良知安」

 相良知安像の制作過程として、彫刻制作過程の原型画像がこれです。↓

最終工程が完成し、出来上がりの青銅色の銅像の画像がこれです。↓

 

 

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