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『肥前さが幕末維新博覧会』開催案内と「観光モニュメント像(相良知安)」(「佐賀の偉人」25人)が制作され佐賀市内に設置されます。

 平成30(2018)年は「明治維新150年」を迎える節目の年です。佐賀県は、明治維新で活躍した「薩長土肥」の各県(鹿児島・山口・高知・佐賀県)と連携し、この契機に佐賀の偉業や偉人を顕彰した記念事業及びプレエベントなどを展開しています。                                              

「その時、日本は佐賀を見ていた。佐賀は世界を見ていた。」がメインテーマです。  幕末期に積極的に西洋の科学技術を取り入れた佐賀藩は、日本近代化のトップランナーでした。

※「さが維新博」HPへリンク→→www.saga-hizen150.com

『肥前さが幕末維新博覧会』(会期:平成30(2018)年3.17~平成 31(2019)1.14の10ケ月間)は、佐賀の偉業を達成した先人の志を、今に活かし未来に繋いでいく目的で開催されます。佐賀市のメイン会場の「幕末維新記念館」(市村記念体育館)をテーマ館として、佐賀県立博物館・県立美術館及び佐賀城本丸歴史館などを中心に、県内市町と連携して全県的に取り組まれています。唐津市の「旧唐津銀行」と鳥栖市の「中冨くすり博物館」では、サテライト館として開催されます。関連会場として、①「リアル弘道館」(旧古賀家)、②「葉隠みらい館」(旧三省銀行)、③「ユージアム佐賀」(さがレトロ館)でも、色々な展示や体験コーナーなどが予定されています。佐賀市の中心エリアにある④「徴古館」〈(財)鍋島報效会の博物館)〉、⑤「大隈重信記念館」も、博覧会に協賛して展示などが開催されます。

本年3月には、佐賀藩主鍋島直正公生誕200年を記念した銅像が、佐賀城本丸歴史館側の佐賀城公園に再建されました。また「北海道開拓の父」と呼ばれる「島義勇」の銅像が、来年に佐賀城公園に建立されます。

佐賀藩10代藩主 鍋島 直正
鍋島直正公銅像と鯱の門(佐賀城公園)

 「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり。退屈せず倍々研究すべし」-幕末の名君として知られる薩摩藩主・島津斉彬は、同藩の反射炉築造・鉄製大砲鋳造の際に、「西洋人」と「佐賀人」を並べて称して、薩摩藩の技術者たちを激励鼓舞した言葉です。当時の佐賀藩は、名君と呼ばれる第10代藩主・鍋島直正の強いリーダーシップのもと、「ひとづくり」(人材育成)と「モノづくり」(蘭学研究の成果として日本で初めての鉄製大砲鋳造や蒸気船建造など科学技術の発展)を推進しました。

 「ひとづくり」の典型として、厳しい「文武課業法」を制定し、藩校「弘道館」教育での厳しい「免状」付与と成績評価を通して、藩士の子弟に徹底した勉学を奨励したのです。進級する度試験を受け、成績が悪ければ家禄の8割を没収されるので、子弟らは必死で勉強に励みました。教育に力を注いだ教育改革の結果、明治維新で活躍した多くの佐賀藩出身者(佐賀の七賢人ら)を輩出したのです。※「佐賀の七賢人」とは、鍋島直正・島義勇・佐野常民・副島種臣・大木喬任・江藤新平・大隈重信です。

 また佐賀藩は福岡藩と1年交代で長崎警備を、幕府より命ぜられていましたので、出島商館のオランダ人から、西洋の最新情報・技術(蘭医学・大砲など軍事・造船・化学など)を入手できる立場であったことが、佐賀藩に幸いしたのです。佐賀藩は、幕府の長崎海軍伝習所に多くの藩士らを派遣し、オランダ人の指導による造船・蒸気船の建造技術を習得しました。また理化学研究所である「精錬方」(主任は佐野常民)や反射炉での大砲鋳造を担当した「鋳立方」(主任は本島藤太夫)らの理化学技術者らが苦難の末、鉄製大砲や蒸気船などを製造・完成したのです。

築地反射炉跡(佐賀市長瀬町の日新小学校敷地内)

 嘉永3(1850)年、「築地反射炉」を建造し製砲を開始。試行錯誤を重ね、嘉永5(1852)年、日本で初めて鉄製大砲の鋳造に成功しました。その結果幕府から、多数の大砲鋳造の注文を受けた佐賀藩は、「多布施反射炉」を新設し鉄製大砲の鋳造を開始しました。そして佐賀藩が鋳造した鉄製大砲が、江戸品川のお台場に設置されたのです。慶応元(1865)年、日本初の実用蒸気船「凌風丸」を、三重津造船所(現在の佐賀市川副町)で建造しました。このように当時の佐賀藩は、国内トップの技術力を保有していた証明であります。

  次に藩主直正の医学分野での業績として、①藩医学校「好生館」での西洋医学教育の必修義務化、②我が国で最初の医師免許試験制度となった「医業免札姓名簿」による開業医免許試験制度の創設、③種痘を全国で初めて我が子(淳一郎)に接種させた。また藩内の領民に藩費で普及させた、④藩士らを長崎や江戸、大阪へ積極的に西洋医学習得のため留学させた結果、多くの医人を育成した(相良知安もその一人です)-などが挙げられます。従来の漢方医学と医師世襲制度を廃止し、「好生館」で西洋医学教育を必ず受講し、試験に合格しなければ医師と認めないという厳しい内容でした。医学でも直正は、西洋医学(蘭医学)を推進し導入しました。

帯刀した相良知安(慶応年間の長崎留学時代)

 次に記念事業の一環として、「観光モニュメント」像制作・設置事業があります。   この度「佐賀の偉人25人」が選定され、医学では伊東玄朴と相良知安が選定されました。筆者は相良知安の子孫として、顕彰されることは光栄であり名誉なことと思います。この25人の偉人の「観光モニュメント」像を制作し、佐賀市内のメーンストリート8ケ所に25体を設置する事業です。設置する期間は『肥前さが幕末維新博覧会』(会期:平成30(2018)年3.17~平成 31(2019)1.14の10ケ月間)の開催期間中です。

「佐賀の偉人」25名の内訳は、政治分野から鍋島直正・島義勇・佐野常民・副島種臣・大木喬任・江藤新平・大隈重信・鍋島茂義、教育分野から古賀穀堂・枝吉神陽、医学分野から伊東玄朴・相良知安、書道分野から中林梧竹、建築分野から辰野金吾・曾禰達蔵、工学分野から志田林三郎、化学分野から黒田チカ、菓子分野から森永太一郎・江崎利一、福祉分野から石井亮一・石井筆子、青年教育分野から田澤義鋪・下村湖人、実業分野から中冨三郎・市村清の25人です。

モニュメントはアルミ材で、来訪者・観光客が並んで写真撮影できるよう等身大にする計画です。医学の伊東玄朴と相良知安の2体は、同じ場所に設置されますが、設置場所は未定です。

鹿児島市では、薩摩藩の偉人の「観光オブジェ」を既に制作し、市内7ケ所に設置されています。参考までに設置のイメージ見本として、観光オブジェ「英国人医師W.ウイリスと弟子の高木兼寛」の画像を掲載します。

英国人医師W.ウイリスと高木兼寛(鹿児島市内の「オブジェ」)

 W.ウイリスは、戊辰戦争で傷病兵の治療に活躍し、明治政府がドイツ医学採用を決定した後の明治2(1869)年に、薩摩藩(西郷隆盛ら)の招きで鹿児島に赴任して「医学校兼病院」(現在の鹿児島大学医学部の前身)を創設し、イギリス流の医学教育を教授し、多くの医人を育成した医師です。弟子の高木兼寛は、日本最初の医学博士であり、脚気の撲滅に尽力し「ビタミンの父」と呼ばれています。また東京慈恵会医科大学の創始者です。

なお平成30年3月に、相良知安の「観光モニュメント」像が完成し設置されましたら、直ちに画像をアツプし公開いたしますので、お待ちください。完成と設置が楽しみです。

 最後に、全国の歴史ファン・愛好者及び相良知安ファンの皆様へ、来年に九州へ旅行される機会がございましたら、是非佐賀県まで訪問する時間を設定して頂ますよう、お願い申し上げます。『さが維新博』の見学・エベントや、相良知安など25偉人の「観光モニュメント」などの見学を、旅程ルートにご検討して頂きますれば、無上の喜びでございます。佐賀県民こぞってお待ちしております。

また「相良知安HP」には、「問い合わせページ」がございますので、ご訪問の希望がございましたら、子孫であります筆者(佐賀市在住)が、佐賀市内の会場(エベントなど)や、相良知安モニュメント・史跡などをご案内いたしますので、遠慮無くお問い合わせください。草々

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