新聞掲載記事紹介

「佐賀維新新聞」(佐賀新聞別刷 平成30年8月17日付け)に掲載の記事(「相良初代学長を解任」)・画像を紹介・公開します。

 佐賀新聞社では、明治維新150年を迎えた本年を記念して、「佐賀維新新聞」を別刷りで発行し慶応3年(1867)から明治維新の激動期をテーマに、当時の事件・人の動きを、現代の新聞のスタイルで描いています。「もし今の新聞が当時にあったら?」とのコンセプトで真面目に検証し、歴史を身近なものに感じられるような企画です。佐賀や佐賀出身者に関する出来事が掲載されています。明治6 (1873)年の新聞記事は、「相良知安」がトップで大きく取り上げられ、「相良初代学長を解任」との見出しにより、知安がドイツ医学導入に尽力した結果、イギリス医学派との確執の経緯が詳述され、その後「第一大学区医学校」学長解任へと進みました。

この紙面をPDFファイルとして添付し、紹介・公開いたします。佐賀新聞社のご許可に感謝いたします。

・「佐賀維新新聞」(佐賀新聞別刷 平成30年8月17日付け)PDF2MB

 

 

 

佐賀新聞連載「さが維新ひと紀行-相良知安-」(平成30年5月26日付け)の記事・画像(PDFファイル)を紹介・公開します。

 平成30(2018)年は、「明治維新150年」(1868-2018)の節目であり、佐賀県では現在開催中の「肥前さが幕末維新博覧会」を始め、相良知安の「偉人モニュメント像」完成設置など、佐賀藩医相良知安が注目されています。

                                     この度、郷土の佐賀新聞に「さが維新博ひと紀行-相良知安-」(平成30年5月26日付け)の記事・写真が、17面の全面に大きく掲載されました。この紙面をPDFファイルとして添付し紹介・公開します。佐賀新聞社のご許可に感謝いたします。

・「さが維新ひと紀行-相良知安-」(佐賀新聞 平成30年5月26日付け)PDF 3MB

 

 

「相良元貞(知安の弟)のドイツ医学留学の足跡を辿る視察訪問」についての新聞記事を紹介・公開します。

 筆者は、2014年7月に先祖相良元貞(知安の弟)のドイツ医学留学(明治4年~)の足跡を辿る念願の旅を実現しました。帰国後は、講演会・研究発表会での視察報告、及び『SSK かていてる』(「日本心臓ペースメーカー友の会」発行機関紙)へご厚意による視察記事の連載等により、広くアピ-ルし公開して来ました。

今回、読売新聞と佐賀新聞に記事・画像が掲載されてから、大きな反響を頂きましたのでご紹介いたします。両社の掲載許可に感謝いたします。なお、今回の渡独についての学会発表を、『第116回日本医史学会学術大会(大阪大会)』(2015年4 月25日~26日:於「日本綿業倶楽部」他)にて一般口演する予定です。 

読売新聞西部本社(佐賀版) 平成26年5月24日付け

 佐賀新聞 平成26年12月16日付け

 

 「相良知安HP」を開設した際の新聞記事を紹介・公開します。

 この度の「相良知安」HP開設は、郷土佐賀及び全国から大きな反響を呼んでいます。 
「佐賀の七賢人」(鍋島直正・大隈重信・副島種臣・江藤新平・佐野常民・島義勇・大木喬任)始め、我が国の多くの偉人・賢人のなかで、単独でHP(ホームページ)を開設している歴史上の人物は少ないと思います。 
今回子孫である筆者が、先祖「相良知安」のホームページを開設したとの話題性や珍しさ(好奇心)・希少性が注目され、マスコミ各社から大きな関心を呼び取材を受けました。 
新聞掲載の効果は絶大であり、電話・メール等での反響はもちろん、「相良知安」HPへのアクセス数の増大として顕著に表れました。
 筆者としては、皆様からの声援と関心の高さに深く感謝いたします。
 皆様の期待に応えますように、今後の活動に精一杯頑張って行きたいと思います。
ここで新聞各社の掲載記事を、掲載月日順に紹介し公開いたします。掲載許諾を頂いた各社へ謝意を表します。 

 

朝日新聞社西部本社(佐賀版) 平成23年1月27日付け

※朝日新聞社に無断で転載することを禁止する。


 

 佐賀新聞 平成23年1月29日付け

読売新聞西部本社(佐賀版) 平成23年2月2日付け
 

毎日新聞西部本社(佐賀版) 平成23年2月22日付け

東大は、東大医学部・附属病院創立150周年記念事業として、「相良知安先生記念碑」を移転した際の新聞記事・画像を紹介します。
 

  「相良知安先生記念碑」建立の機運が、昭和10年(1935年)に在京佐賀県人から高まり、大隈信幸侯爵・長与東大総長・石黒博士・入澤博士、女医の吉岡弥生ら発起人が全国の医師等に呼びかけ、当時三千円の費用で完成しました。

相良知安は、当時医学校と病院を上野公園に建設したい構想を持っていましたが、恩師で蘭医のボードウインからその照葉樹林のすばらしさから、東京には「公園として残すように」とのアドバイスがあり、その為代替地として、加賀前田藩江戸屋敷跡である現在の東京大学本郷キャンパスに決まりました。その経緯(いきさつ)から、記念碑は上野公園不忍池を背後に臨む、東大池之端門側に建立されました。碑文は石黒忠悳(いしぐろ ただのり)博士の題額と入沢達吉東大名誉教授の撰文があり、高さ約4.3メートル、幅は約1.8メートルの大きな顕彰碑です。しかし周囲に看護宿舎などが建ち、樹木の中にひっそりと隠れて目立たない状態でした。

東大医学部の創設は、安政5年(1858年)「幕府種痘所」が、東京神田お玉ヶ池の幕府勘定奉行であった川路聖謨(かわじ としあきら)宅に、設置された年とされています。その150周年目が平成20年(2008年)に当たります。創立150周年記念事業として、是非「相良知安記念碑」を日の当たる人目につく場所への移転を、子孫である私達を始め現状を杞憂する関係者が、東大医学部・附属病院へ請願をしていたのです。その努力が実り、平成19年6月に永井東大附属病院長(当時)や病院当局のご尽力により、東大附属病院の新入院棟玄関前の緑の一角に移転しました。日が当たる場所で人通りも多く、緑のスペースで好位置となりました。子孫一同これ以上の喜びはございません。永井東大附属病院長及び東大病院当局の英断に感謝いたします。

佐賀新聞 平成19年6月15日付け

 

 

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