令和2(2020)年の「第3回さが維新まつり(時代行列)」は、コロナ禍のなか、「医療関係者への感謝と敬意を表する」とのテーマで開催され、医人・医療関係者の21名が出演し、無事盛会裡に終了しました。
明治維新150年の節目のとなる2018(平成30)年に創設された「さが維新まつり」。第3回となる2020(令和2)年は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、例年と異なり開催規模・内容を大幅に縮小し、「佐賀さいこうフェス」イベントの一環として、秋晴れの好天下2020(令和2)年10月24日(土)に、佐賀城本丸歴史館・博物館広場一帯で開催されました。
今年の「さが維新まつり」はコロナ禍のなかで、「医療従事者への感謝と敬意を表する」とのテーマ(コンセプト)のもと、佐賀から日本医学・医療の発展に貢献した医人(偉人)たちにスポットを当て、医人に扮して出演しました。筆者は、佐賀藩医相良知安役に扮し出演しましたので報告します。
【時代行列に出発前の鍋島直正と三医人(佐賀城鯱の門前)】
コロナ禍で多くのイベント・行事が中止となる今年、少しでも佐賀を盛り上げたいという熱い想いから、開催が決まりました。筆者が出演しました「時代行列」には、配役として佐賀藩第10藩主として医療分野の改革を推進した鍋島直正(山口佐賀県知事)・幕末・明治期に日本医学発展に貢献した佐賀藩出身の伊東玄朴(青木洋介佐大医学部教授)・相良知安(筆者で5代目子孫相良隆弘)・佐野常民(さが八賢人隊様の役者)ら三医人と、明治期の好生館医師・看護師(現在の好生館の佐藤館長・医師団と看護師団・看護学生)及びさが八賢人隊ら、総数21名の出演者で練り歩きました。
【時代行列の一行(博物館広場)】
佐賀城鯱の門からスタートした時代行列は、鍋島直正を先頭に練り歩き、博物館広場で開催中の「佐賀さいこうフェス」で、賑う人々から声援を受けながら会場を一巡し、ステージに登壇しました。ステージ上では、鍋島直正・三医人・医療関係者の紹介あり、代表して山口知事・青木佐大医学部教授・佐藤好生館館長のインタビューと続きました。その後ステージでは、出演者の紹介とインタビューがあり、その後寸劇(「民より先に」)が上演されました。歴史寸劇「民より先に」は、はやり病と災害と闘った佐賀の偉人たちとの副題があります。かって全国で猛威を振るった天然痘が、佐賀でも流行していた江戸時代に、10代藩主鍋島直正は、世継ぎである長男の淳一郎に種痘を受けさせ、その成功がけっかけとなり領内から、やがて全国に普及することとなった。当時領民達は、種痘を受けると、牛になるとか角が生えるとの迷信を信じていたのでで、直正はまず自分の長男に種痘させ、その成功を見届けて、安全性を確認してから、藩内の領民へ、種痘医により無料で接種させたのです。寸劇は、ひき続き、時代は明治初期に移り、佐賀藩医相良知安の活躍と信念強くドイツ医学の優秀性を主張し、我が国へドイツ医学の導入に尽力した相良知安役が登場しました。
【ステージ上で出演者の紹介】
佐賀城鯱の門前では、増田敬太郎巡査の山車が登場し展示されました。増田巡査(明治2年生)とは、熊本県出身で佐賀県巡査として唐津警察署に配属された。明治281895)年7月に現在の唐津市肥前町高串地区で、コレラが流行した際に、不眠不休で防疫活動に懸命に従事し、地区に入って3日後、遂に自分もコレラに感染し倒れる。「高串のコレラは私が全部背負っていきますから安心して下さい」と言い残し27歳の若さで殉職しました。死後、髙串地区のコレラは終息し、増田巡査の献身的な行為に感謝した地区の人々により増田神社に祀られている。増田神社は、全国唯一の警察神として尊ばれています。
【増田敬太郎巡査山車と筆者(鯱の門前)】
【さが維新まつり(時代行列)に出演者の集合写真】
今年のメインテーマが「医療」であり、コロナ禍の収束に取り組む医療関係者に感謝し、さらに行政・医療・県民が一体となった感染予防に取り組む契機となり、県民を鼓舞し勇気と元気を与えることが出来て、無事盛会裡に終了しました。 (了)
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