『相良知安関係文書』の出版概要及び出版までの経緯・背景などは下記の通りです。
【※帯刀した相良知安(長崎留学時代)】
【はじめに】
相良知安に関する伝記・小説類以外で、本格的な史料・書翰・文書類を集大成した今回の文献出版(『相良知安関係文書)』は、初めてで画期的であります。『相良知安関係文書』(青木歳幸編:佐賀城本丸歴史館発行)が,令和6(2024)年10月に刊行されましたので、出版案内チラシ・出版概要・内容(カラー口絵など)をご紹介します。佐賀県立佐賀城本丸歴史館では、「佐賀城本丸クラシュクス」と題するシリーズ文献の四冊目の出版となります。ちなみに1冊目は『島義勇入北記』)=2021年,2冊目は『江藤新平関係書翰』=2022年,3冊目は『大木喬任伝記資料談話筆記』=2023 年であります。今回の『相良知安関係文書』が4冊目=2024年となります。
【※出版(『相良知安関係文書』外観】
編集・監修・解題は、青木歳幸教授(佐賀大学特命教授)であり、解説として「相良知安の人と医療思想」があります。また尾﨑耕司大手前大学教授の寄稿【「医制略則」と「医制」の成立について】があります。編集・出版元は「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」,菊版・250頁以上・価格は8800円(税込み)。 出版概要・内容を紹介します。
主な出典先は①佐賀県立図書館所蔵②相良家所蔵③早稲田大学所蔵⑤国立国会図書館所蔵⑥国立公文書館所蔵⑦東大総合研究博物館所蔵⑧江藤家資料所蔵⑨峯源次郎文書等です。 「相良知安文書研究会」(会員8名で筆者も一員)が平成27(2015)年7月に発足し、毎月1回の開催で「相良知安関係文書」の翻刻・解読に取り組んで、今回101回目の節目を迎えました。県内外の古文書・藩政史・医学史等の各分野から、新進気鋭な研究者が参加した研究会であります。例会では毎回、活発な意見・論議が出て活況を呈し、今10月以て9年間の研究活動を無事終了しました。会員の皆様(途中で死去された会員もあります)へ9年間お世話になりまして、深謝と御礼を申し上げます。
【※出版案内チラシ】
【内容紹介】
内容章立ては、◎口絵(「医制略則」を全文カラー掲載),◎内容①「相良知安関係文書解題」・②「相良知安の人と医療思想」解説(編者の青木歳幸佐賀大学特命教授),◎③【「寄稿ー「医制略則」と「医制」の成立について】(尾﨑耕司大手前大学教授),収録内容は、◎著述草案(「明治二年医学校取調に関する意見書」・「医制略則」・「医制」永松記名本・「医制」大隈文書本・「主意」・「東京医学校教師教務規則案」・「薬剤取調之方法」・「衛生事件」・「御尋に付愚見書」・「医学校搆造ノ方向」・「医学略史」・「勅語論釈」・「祭之記」・「論道ス」・「歎願書」・「心得」・「覚」など)の史料・文書類、◎書翰類(来翰は「秀之書翰」・「石黒忠悳書翰」・「佐藤進書翰」・「ケンプルマン書翰」・「副島種臣書翰」・「加藤弘之書翰」・「別当書翰」など、発翰は「江藤新平宛書翰」・「大隈重信宛書翰」・「大木喬任宛書翰」・「三宅秀宛書翰」・「深川亮蔵宛書翰」・「峰源次郎宛書翰」・「田中宛書翰」など、◎参考書翰は「岩倉具視宛大久保利通書翰」・「峰源次郎吊詞」・「八木称平宛佐藤尚中書翰」・「正院宛大木喬任書翰」・「大隈重信宛石黒忠悳書翰」・「相良安道宛峰源次郎書翰」等、◎経歴資料(「回想」・「履歴書」・「日記」・「辞令通達勲記」・「相良翁懐自記」類)、◎附録(相良柳庵系図・相良春栄系図・『相良知安翁懐旧譚』)等の豊富な掲載内容です。
本著の目玉史料として「医制略則」(85章:佐賀県立図書館蔵)を挙げたい。
これは「医制」(76条:明治7年公布)の草案といわれ、その起草を著したのが文部省初代医務局長相良知安である。関連文書で知安著の「薬剤取調之方法」(佐賀県立図書館蔵)も詳細な内容解明の結果から、『医制』原案の起草者は相良知安であることが判明しました。従来の通説では,「医制略則」の起草及び『医制』立案も二代目医務局長長与専斎であると主張されて来ました。特に「医制略則」原本(85条)は,口絵カラーにて全文を掲載しているので注目されます。
【※『医制略則』表紙・本文】
《「薬剤取調之方法」と医薬分業》【出典「佐賀医学史研究会「会報」(第140号)2020年8月1日発行】と題する青木歳幸教授の論文では、「医制略則」(85章)と「医制」(76条)を比較検討し,「第四薬舗 附売薬」の項で,「医制略則」(52条)に同様の記載があり,「薬剤取調之方法」(17,18,19,20条)にもその条文があることが解明された。我が国医薬行政の法制作成の基礎は長与専斎ではなく、第一大学区医学校学長を勤め初代医務局長を歴任した相良知安と門下の永松東海(司薬取調御用掛)グループが作成し,失脚した知安に代わり二代目医務局長長与専斎の名前で『医制』を発布したのであります。ここに従来の通説の誤りが解明され、訂正が必要になりました。 青木特任教授の論文【注目論文「薬剤取調之方法」と医薬分業】の詳細は、→→./748.html
今回の出版に、寄稿(【「医制略則」と「医制」の成立について】された尾﨑耕司大手前大学教授は、本稿に「『医制略則』から条文の修正や削除をみながらも、その主旨を踏襲した『医制』が作成されたのは、これらを一貫して相良が率いたからとみるのが妥当なのである」と記述されました。尾﨑先生のこれまでの論考(「は、本HPに公開していますので、併せてリンクをクリックして頂ければ幸いです。
尾﨑教授の論文【明治「医制」再考】の詳細は、→→./407.html
次に相良知安が独逸医学導入を主導して主張したので、関連する史料類が多く収載されています。特に「主意」(佐賀県立図書館蔵)にある「独逸医学輸入の相良知安自筆覚書」が有名であります。
【※『医制』・『主意』表紙・本文】
「祭之記」(相良家蔵)の前半部で、相良家(先祖相良長安柳庵)は歴代佐賀藩医の系統を述べ、佐賀藩藩校から医学校で学び医学に目覚め江戸遊学(佐倉順天堂塾)後に、長崎蘭医学伝習した自叙伝的な回想記です。さらに後半部では「医道」・「護健使」・「医学」・「学途」・「神」・「世」・「皇極・帝座」・「遵道」・「習学」・「戦争」の項を記述し、相良知安の医学観・人生観・世界観を垣間見ることが出来ます。
「草案―医及医師ノ名称ヲ廃スル説―」(江藤家資料蔵)では,知安が「医」の名称を「護健使(クスシ)」に変更する名称を主張し、健康保護・予防医学を提唱しています。「借用證」(相良家蔵)には、知安が明治6年に千円もの大金を何故借用したのか、諸説あるがまだ確定されず今後の解明が待たれます。「選名状」(相良家蔵)は、同郷の政治家兼書家である副島種臣から、知安の甥の誕生に際し命名して貰った珍しい資料であります。
今回『相良翁懐旧譚』(相良知安口述:「医海時報」連載:明治37年)が掲載されるのは嬉しく存じ、知安の佐賀藩時代から明治初期の医学界の状況・様子など貴重な内容が判明しました。文書の中には、著名な医学者である池田謙斎(秀之)・三宅秀・石黒忠悳・佐藤尚中(春海)・北里柴三郎・峯源次郎等との交流が判り注目されます。
相良知安叙勲(明治33年:勲五等双光旭日章)に際し、当時著名な医学者(17名)の連名による請願書が、明治政府に提出されています。
最後に,その他注目すべき文書類として①「略言(衛生事件)」②「医学略史」③「医学校搆造の方向」④「日記」⑥「勅語論釋」⑦「守歳」(七言古詩)等があります。
【※佐賀新聞への投稿文(2024年11月5日付け】
筆者は、本出版を広く佐賀県民・世論に対しアピール・広報するため、地元紙「佐賀新聞」へ投稿しました。反響も多く嬉しい限りです。ここに投稿文を公開し発信致します。
【本出版の意義】
今まで未公開の相良知安史料が公開され出版されますことは、学会・研究者に大きな知的好奇心・インパクト刺激を与え、学会での活発な論議が行われれることを願い、もって相良知安の再評価に繋がるものと確信致します。(了)
※『相良知安関係文書』出版案内チラシ 表 PDF 840KB
※『相良知安関係文書』出版案内チラシ 裏 PDF 948KB
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