相良知安と「護健使」(クスシ)

相良知安が執筆した「建白書」(保護健全意見書」)と「草案」(「医及医師ノ名称ヲ廃スヘシ論」)及び「護健使」(クスシ)について

 相良知安は、明治3年9月文部省(当時の役職は、大学権大丞)から、太政官宛の「建白書」(「保護健全意見書」)を持参して、馬車で門外に出たところを弾正台の捕吏に不当に拘束された。建白書の中で知安は、曰く「医とは病を治療する術であるが、今日日新の医学はこれだけでは足りない。新生日本の医学は、疾病予防・健康増進に務め、寿命の延長を図らねばならない。このため医の名称改めて医療行政を司る役所を設けて「護健使」(使とは、開拓使・検非違使の使と同じ)と呼称し、これを学校に附属させるべきである」と健康保護・予防医学を強調した名称を採用したいと考えました。                                               ここには予防医学の萌芽が見られます。律令制度の奈良時代には、医師をクスシと呼称する医官職があった。

「建白書」は、「道」・「護健使」・「学」の三部からなる。「学」の部では、勉強すべき科目として日本(皇国)の古典文学はもちろん、基礎科目として第一 度量学(数学)・第二 格致(天文地理)学・第三 化学・第四 動物学・第五 植物学・第六 鉱物学(以上予科に属す)を提示し、医学専門科目として, 第七 解剖学(記載顕微鏡検査・比較解剖)・第八 生理学・第九 薬性学・第十 病体解剖学(学説試験)・第十一 毒物学・第十二 病理学・第十三 治療学(内科・外科・産科・婦嬰科・眼科・口中科・鍼科・電気科・梅毒科・軍務医事断訟医事・古今経験及摂生法 以上皆本科に属す)の13科を提示している。                                              相良知安の発想は雄大で飛躍的であったが、当時の医学状況と医師たちには、先進的過ぎていて明治時代には早すぎた理想であった。                                                     「江藤家資料目録」(佐賀県立図書館所蔵)のなかで、『草案』(「医及医師ノ名称ヲ廃スヘシ論・藤原朝臣・知安)」)として所蔵されている。知安と江藤新平は、同じ佐賀藩出身の同郷(佐賀郡八戸村出身)で、竹馬の友でした。二人の友情は共に上京し明治政府に出仕してからも、煩雑に面会し交友していました。そこで「草案」を、先ず江藤新平に見せていたので「江藤家資料」に所蔵されていたのです。当家所蔵の『祭之記』の中で、知安は「護健使」(クスシ)について記述しています。 この『祭之記』は知安の回顧録ですが、「医道」・「護健使」・「医学」の各節の内容は、「建白書」と全く同じ内容です。  

『草案』(-医及医師ノ名称ヲ廃スヘシ論-)では、次のように述べている。(一部抜粋)                                         「皇国神真ノヲ体シ、及保護健全ノ義ニ本キ、護健ノ字ヲ以テ之ニ当テ、而シテ護健道ヲクスシノミチ、護健使ヲクスシと訓シ以テ医ノ名称ヲ廃スヘシ」。                                                   公開資料として、①「建白書」(保護健全意見書)PDFファイル、②『草案』原本(江藤家資料)PDFファイル、③『草案』翻刻文PDFファイルを、リンク添付して参考の用に供します。

      『祭之記』表紙(相良家蔵)

     『祭之記』より「護健使」部分(相良家蔵)

『祭之記』より 

 護健使 
「護健使ノ職タル親カラ天徳ヲ体認シニテ我億兆ヲシテ我膏腴ノ地ニ振々蕃息セシムル所以ノ者ナリ、故ニ其学ハ万物発育運化死生及疾病ノ理ヲ究メテ精緻到ラサル所ナク其法ニ於ルヤ常ニ飲食起居動静ノ法ヲ教ヘ、疾病ノ原本ヲ断チ疫邪ノ流行ヲ防キ、以テ民ノ健康ヲ保護シ、又已ニ疾病アレバ之ヲ療シ、之ヲ除キテ健全ニ復サシメ以テ其天命ヲ全フセシメンコトヲ要不実(是切)ニ民命ノ係ル所ナレハ、斯道固ヨリ治教ト倶ニ行レ、而シテ
聖上好生ノ仁徳ヲシテ子民ニ洽カラシメンニハ、即今宣教使ト共ニ其教ヲ広ク世ニ布テ一日モ曠フスヘカラサル者ナリ」

 

 

 

・「建白書」(「保護健全意見書」(PDF 1.27MB)

 ・『草案』(原本:江藤家資料:佐賀県立図書館蔵)PDF 7.54MB

 ・『草案』(翻刻文:PDF 1.06MB)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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